ニュースレター

牧師欄

    パイン合同メソジスト教会日語部の後藤範子さんから、「コロナも落ち着いてきたことだし、そろそろ文書伝道を再開したい」というご相談をいただき、「それなら、これまでベイエリアで牧会をされたことのある先生方で、現在日本におられる先生にもお願いして書いてもらったらどうでしょうか」と提案をしましたところ、範子さんが久しぶりにニュースレターを再発刊してくださり、栄えある牧師による巻頭言の第一回を私が書かせていただくことになりました。

    このニュースレターをお読みの皆さんの中で、私のことをご存じの方はほとんどおられないと思いますので、まずパインとの馴れ初めについて書かせていただきます。(このニュースレターは今後も続くだろうし、また私が書く回も回ってくることを期待して)。それはちょうど30年前の1992年に遡ります。当時私は同志社大学神学部大学院を修了した後、東京にある日本キリスト教団霊南坂教会で伝道師から副牧師を終え、マリン郡にあるサンフランシスコ神学校で「宣教学博士号」のプログラムに参加するために渡米していました。妻と三人の子どもを連れての渡米予定でしたので、まずは家探しをするために単身でUCCのシカモア組合教会日語部の牧師であった菅根信彦先生(現在日本キリスト教団同志社教会牧師)を頼ってベイエリアに来ていたのです。

    日本にいるときから、「関谷さんが来られたらパイン合同メソジスト教会っていうところの日語部で一回だけ説教してくれませんか」というお話を菅根先生から伺っていたおり、私はよく事情がわからないまま喜んでそのお話しをお受けしていました。

    しかしその日曜日、湾を隔てて反対側のエルサリートから、どうやって教会までたどりついたか思い出せません。まだ免許は持っていませんでしたし、菅根先生はその日シカモアの礼拝があったはずです。近くのエルサリートプラザ駅からBARTという手もあったかも知れませんがその記憶はありません。思うに範子さんのお連れ合いさんのジェームスさんあたりが私が滞在していたシカモア教会まで迎えに来てくださったのではないかと思います。こうしてどうにかして日曜日の朝にパイン教会の礼拝で説教をして、礼拝後、皆さんと礼拝堂の横の小部屋でお茶を飲んで、多分どなたがお作りになった日本のお菓子をいただきながら、皆さんとお話をしました。これがパイン教会と私の最初の出会いです。

    しかし「一回限り」ということで始まったパイン教会と私の関係はこのあと、大きく変わっていくのです。しかしこのお話の続きはまた次回。
(続きは8月号へ)

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今別府 実さんの投稿です。

コロナが流行し始めてから、毎日1万歩以上歩く様に決めて、今でも歩いています。

連続して1万歩以上歩くわけではなくて、家を出てから家に帰るまでですから、割合に楽です。

ただ去年の秋に大雨が降って、強風が吹いた時には傘が逆さになりながら歩きましたが、それが一番印象に残っています。

散歩をしていると、様々な花や鳥、雲を見たりしますので、その度にスマホで写真を撮っています。

2020年10月18日の午後5時前にサンフランシスコのフェリービルの近くを歩いていたら空を見上げている人がいました。何があるのだろうと思って見上げたら空に浮かんでいたのがこれでした。

 

 

 

今別府さんは色々なパインの集まりに何時もご参加くださっておられます

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