ニュースレター

パイン日語部ニュースレター再発行に寄せて

ベイエリアメには6つのソジスト日系教会がありました。それらの教会にはそれぞれ日語部がありました。
今ではそれらのすべての教会に日語部が存在していません。日語部として本格的に活動を展開なさっているのはサンノゼのウエスレー合同メソジスト教会だけとなりました。サンフランシスコにあるパイン合同メソジスト教会には日語部なありますが、今では小さな群れとなり、7年間無牧です。
2020年2月以降、コロナ禍の中パイン教会日語部は礼拝堂での礼拝、アウトリーチの活動は全て止まりました。
その間、パイン日語部の皆様は出来る方法で、ウエスレー教会、山本一先生によるZOOM、You Tubeによる礼拝、ZOOMで行われている聖書研究会、アラメダ教会で行われている聖書研究会、日本町長老教会、鈴木央子先生の聖書研究会などへの参加させて頂いておりました。
また2021年4月からは、シカモア組合教会にその年の2月にご着任された石田 求先生はパイン日語部のために毎週、ご自身の休暇中も説教原稿をお送り下さり続けておられます。お互い直接会えない間、共通のお説教に接しさせて頂いていると言うことは、イエス様よりの大きな愛と暖さを頂いているようで、どんなにか励まされてきたか分かりません。
4年ほど前からパイン日語部では土曜日に礼拝を守らせて頂いております。ゲストスピーカーとしてご奉仕下さる牧師先生に比較的ご迷惑が少ない土曜日にお願い申し上げております。
とうとうパイン日語部は2022年5月14日(土)に礼拝堂で礼拝を守られる時を迎え、言葉には表せられない嬉しさのうち礼拝堂で礼拝を守らせて頂きました。
それまで一切の活動を停止しておりましたが、牧師さんのご都合が着く時はパイン日語部はいよいよ毎週礼拝を守らせて頂けます。コロナ禍が落ち着きますればアウトリーチも再開して行きたいと思っております。
長いこと発行していなかった日語部のニュースレターも発行させて頂きます。 (後藤範子)

聖餐式

1992年の奇跡

1992年、日語部の牧師が出されると言う声が聞こえてきました。教会には無関心な私でし たが、どういうわけかそのことに驚き、最後の礼拝に出席致しました。
礼拝が終わると後方に座って居られた方(当時の信徒代表の方でした)がいきなり前に進み出 て、週報をかかげ、“これからは誰が週報、ニュースレターを作るんですか”と叫ばれたパインで した。
私はそれを聞き、なぜかものすごく驚き、翌日日本町に行き、日本語の文字がタイプできる ソフトを購入してきました。
教会に対して後ろ向きであった私が前向きにされた瞬間でした。それ以来私の意志などに関 わりなく、アウトリーチなど展開して行きました。
その1992年です。後任も決まっていなかった日語部からいきなり日語部の牧師は移動さ せられたのですが、その間際に関谷直人先生(現在同志社の教授であられます)がベイエリ アに居られたのでした。移動間際の牧師さんのアパートでミーティングが持たれました。日 語部を支えて来られた方々3人ほど、関谷先生、私たち夫婦でした。私はそれまで日語部と は何のかかわりもなかったのですが、その場に呼ばれておりました。
無牧師の状況に陥るところだであった日語部は、関谷先生のご留学のおかげで毎週礼拝を守 らせて頂けたのでした。
これらの出来事はまさに奇跡です。それから4年関谷先生は私たちをお支え下さいました。そ れ以降ベイエリアの日系教会日語部は関谷先生のご尽力で同志社から牧師さんをお送りいた だきベイエリアの日系教会は教派を超えて支えあい励ましあって来られました。
ところが今はその流れが変えられ、メソジストの方針で先ず当地で日本語の牧師を探す、と 言うことなり、ベイエリアの日系人教会の状況はさらに厳しい現状です。
ですがこれも神の深いお考えととらえ、この与えられた試練を通して、一人一人が更に神に 向き合い、神のお心をお聞きしつつ歩んで行き、更に神の愛を心に感じ、信仰が強められて ゆくと信じております。

神の世界

来月から牧師欄が復活されます。

7月の牧師欄は関谷直人先生です

慈悲

6月の礼拝情報

6月11日(土) 鈴木央子牧師

6月18日(土) 石田 求牧師

6月25日(土) 石田 求牧師

 

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