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「ペンテコステ」

2016年は、5月15日(日)に、ペンテコステ(聖霊降臨日)を迎えます。私は、ペンテコステには、ぜひ、たくさんの人に教会に集まっていただいて、今ここに働く聖霊を感じてほしいと願っています。「考えるな、感じろ」という古い映画のセリフがありますが、ペンテコステは、まさに、聖霊について、あれこれ考えるのではなく、聖霊の働きを感じる日なのです。
 使徒言行録2章によれば、イエスの十字架から50日後、弟子たちは、聖霊に満たされて、さまざまな国の言葉で、福音を語り始めました。ここで大切なのは、弟子たちが聖霊に満たされただけで終わってはいない点です。それまでは、ユダヤ人たちを恐れて家の中に隠れていた弟子たちが、聖霊に満たされると、家の外に出て、あらゆる国の人々に福音を宣べ伝えるようになりました。ここに、ペンテコステが「教会の誕生日」と呼ばれる所以があります。つまり、ペンテコステによって、宣教の業が始まり、福音を証しする群れとして教会は、目に見える形で地上での歩みを始めていったのです。
 そして、ペンテコステは、イエスの弟子たちだけに起こった過去の出来事ではありません。あの日から、聖霊に満たされた者たちが、神の愛を告げ知らせるようになり、それは今も続いています。ですから、「二千年前に、聖霊降臨があった」というのは、正確な表現ではありません。正しくは、「二千年前に、聖霊降臨が起こり、それは今も続いている」のです。
 ヨハネ福音書14章26節で、イエスは、聖霊を「弁護者」と呼びました。それは、聖霊が、私たちの一番近くにいて、私たちを助けてくれる存在であるからです。
 たとえば、犯罪を犯した人は、世間からその罪を責められ、罵られます。それは、本人の自業自得なのですが、しかし、誰ひとりとして自分を助けてくれる人がいないという状況は、とても、つらいものです。けれども、弁護者だけは、罪を犯した人に近寄り、その人が救われるようにと、できる限りの奉仕をします。同じように、聖霊も、手放せない痛みや人に言えない憎しみを抱えていたり、周囲から誤解されたりして、つらい状況にいる私たちに近寄り、「たとえ、あなたがどんな罪人であっても、神は、あなたを愛している」という福音を語ってくれます。
 さらに、神は、私たちが聖霊に満たされたのなら、今度は私たちが、誰かの弁護者となるように期待しています。なぜなら、人と人とのつながりによって、聖霊の働きは伝わっていくからであり、そもそも、私たちに、聖霊を感じてほしくて、神は、教会を建てたのです。
 ペンテコステを迎える朝、聖霊は、私たちの心から、互いへの無関心や憎しみを取り除き、神の愛に満ちた言葉を語りかけます。そんな神の言葉を聞きたい人は、世界中に、まだまだ、たくさんいます。神との出会いを求めている人たちに、神の愛を宣べ伝えるため、聖霊の風を背中に受けて、教会から出かけていきたいと心より願うのです。 (牧師欄リストに戻る)

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