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「イエスは戦わない」

戦後71年目の夏を迎えました。毎年、この時期になると、平和のために祈らずにはいられません。ただ残念なことに、今年2016年は、毎日のように痛ましい事件が続いていて、思わず、祈りにくじけそうになります。この1〜2ヶ月だけでも、アメリカのオーランド、バングラデシュのダッカ、フランスのニース、ドイツのミュンヘン、そして、日本の神奈川県相模原市・・・最近では、テロリストが引き起こす事件よりも、むしろ、宗教的・思想的には希薄な人が、インターネットを通じて過激思想の影響を受けて、ある日突然、凶行に走るケースが増えてきています。私たちは、ニュースで見るだけですが、それでも胸が苦しくなります。ましてや、現場では生々しい血が流れ、涙が流されています。現在の混乱状態から抜け出す出口を、世界は、いまだに見つけることができません。
世界は今、本当に行き詰まって、本当に傷ついて、かつてないほどに真の平和を求めています。そんな私たちのために、すでに主イエスは、身をもって、平和へと至る道を示してくれています。

マタイ福音書26章52節で、イエスは「剣をさやに納めなさい」と語って、争うことなく、自らの身を剣に引き渡しました。これこそ、神の子の姿です。怒りが怒りを、憎しみが憎しみを、罪が罪を生み出して、その連鎖を断ち切ることのできない状態の真ん中に、神の子イエスは現れて、「剣をさやに納めなさい」と、つまり「殺したいなら、私を殺しなさい」と宣言しました。「殺したいなら、殺せばいい。それでも、私はあなたを愛している。赦している。あなたと信じ合いたいと心から願っている」。そう言いながら、イエスは十字架に架けられていきました。そこから、真の平和が始まったのです。
神の子がこの世に来られたというのは、そんな、とてつもない愛の業がこの世界に始まって、私たちを変えていくということです。だから、私たちは戦いません。イエスが、戦わなかったからです。私たちは、怒りや憎しみに対して、イエスが教えてくれた愛で立ち向かいます。私たちは、戦うのではなく、愛して、赦して、一緒に生きていくことを願います。これは、少し怖いことですが、実は、私たちにもできることです。私たちが勇気を出して、福音を一言語れば、そこから世界は変わっていきます。そこから、イエスの平和が広がっていきます。なぜなら、神が、世界をそのように造ったからです。

 2016年の夏、私たちの教会が、十字架の下に真の平和の味わう教会であるように祈ります。もし近くに、怒りや恐れを胸の内に抱えている人がいるのなら、その人の心を、イエスの愛の言葉で満たせる教会でありたいと願います。これこそが、現代で、真の平和へと至る唯一の道であると、私は心から信じています。 (牧師欄リストに戻る)

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